【アモリ通信344:中村天風 2】 20211215

 

◎◎さん(^^♪


こんにちは。


SILアカデミー 1on1 オンライン顧問
jyogar教授の福島清隆です。【専門は物流です】

本日のテーマは「中村天風 2」です。

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アモリ通信326で中村天風を取り上げました。
https://www.sil-ms.jp/135768.html

その続編という訳ではないのですが、あまりにレベ
ルの違う人物なものですから、ついついこの話は
本当なんだろうか?。少し盛ってるのじゃないか、
と、中村天風ファンからお叱りを受けるかもしれま
せん。

「盛大な人生」 日本経営合理化協会
        中村天風 述   9800円+税

上記のP226~P235を紹介します。総て転載すると長
くなりすぎますので一部省略しますが、それでも
少し長くなると思います。


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 思えばあの日露戦争の前後、いつ殺されるかわか
らない死線の上に、毎日毎日、明治35年から明治
39年の2月11日までの足かけ5年間、普通の人の知ら
ない、そして普通の人から見たら、とうてい1週間
と生活のできそうもない困苦欠乏と辛酸努力のなか
で生きてきた。

 戦争を終わって後から考えると、我ながらよくも
やった。やりおおせたと思うことも、そのときはい
ささかも辛いとも苦しいとも思わなかった。むしろ
毎日を颯爽と勇ましく生きていたのも、せんじ詰め
ると、心がそれを楽しく感じていたからなんです。
辛いと思ったら一日も生きていられるもんじゃない

          (中略)

 だから、忍者なんか辛いと思いやしません。辛い
と思われることでも、人の知らないこと、人のでき
ないことをするのは楽しみなんだよ。
 私なんかも軍事探偵の生活してる時代には、もう
毎日毎日が楽しいことばかり、うれしいことばかり

 円卓のまわりに35,6人の敵の偉い人が協議をし
ている。その真ん中のところにチョコンとしゃがん
で聞いている時に、「こんちきしょうら、ほんとに
まあ、恐ろしい敵の間者がここんところにしゃがん
でるのを知らねえで、平気な顔をしていろんなこと
を言っていやがるけど、今にみやがれ、その協議し
てる書類はこっちにほどなくちょうだいするんだ。

 今は生きていやがるけれども、このなかのいく人
かが夕方まで生きてるか生きていないかわからねえ
でいやがる。ばかやろうめ」と思う。その何といえ
ない気持ちのよさね。毎日毎日そういう楽しみがあ
る。あしたはどんなことがあるんだろう、きょうよ
りおもしろいかしらん、という気持ちばっかりなん
だ。そういうときに、辛いとか苦しいとかいうこと
と心がちっとも同居しないんだから、いやだなと思
ったことはありゃしない。いやだと思うやつは、た
いてい途中でずらかっちまってるんです。

 とにかく、私の悟れた刹那の気持ちというのは、
あの死刑の宣告を受けて(注、日露戦争時、敵の
コザック騎兵に捕えられた)死刑場にひかれて、
柱にくくりつけられて立たされたとこまでのわず
かな時間の私の心の状態が、その後インドの山の
中でディヤーナの行をしているときに、思い出る
ともなく思い出て、ああそうだった、と思ったそ
気持ちですな。それが悟りの動機になった。

 滝の音を聞きながら、地の声も天の声も聞こえ
るようになってからですが、軍事探偵時代をジッ
と心の中で思い出してみた。私のみの知る消息
だが、死刑の宣告を受ける前の晩、65,6歳にな
る牢番の満州のおやじが、なれなれしい笑顔で私
に、
「おまえね、おい、何か食いたいものねえかい」
というから、
「べつに何も食いたいものものないよ」
「そうか。あのな、内緒だけどもよ、あした、
 おめえ、鉄砲で撃たれるんだぜ」
さも気の毒そうな顔をして、私の顔を見て言う
んです。

 そのとき私、格別に驚かなかった。というのは
軍事探偵で命を全うしたものは昔から一人もない
もん。古今往来、歴史のなかで、世界の中に一人
もいませんよ。ですから、とらえられる前から十
二分に死ぬ覚悟はできてた。日本から出て任地に
向かうとき、いちばんの上官である河村元帥から
その時分は中将だったが、「思う存分お国のため
に働いてくれ。いずれ靖国神社で会おう」、これ
が出発のときの餞別の言葉だもんね。だから、つ
かまってから覚悟ができたんじゃないもん。行っ
たときからもう十二分にその覚悟はできていたか

「おまえ、あしたの朝、鉄砲で撃たれるんだぜ」
と言われても、べつに驚きも何もしなかった。
「そうかい」ーーー心のなかではくるべき時が
来たと思うだけだよ。

 そうしたら、驚かないもんだから、
「おまえ、本当なんだよ。もうすっかり士官室
じゃ支度ができてんだぜ。もう撃ち手も決まっ
てるんだ。三人、兵隊が来てるんだ。しっかり
おしよ」
 べつにしっかりする必要もありゃしないんだ
から、
「そうかよ」と言ったらね、
「おまえね、死ぬんだよ」
それで私、こう言ってやった。
「俺ね、日本を出たときから、ちゃんときょう
のことを覚悟してるんだよ」と、蒙古語は私、
達者なんだけど、満州語はあまりよく知らない
んで、手まね足まね片言まじりの満州語で言う
とね、
「そうか、でも何か欲しいものがあったら言え
よ」
「何もないよ」
もう、何やかんやうるさく言ってくる。それは
ね、私、軍票をずいぶん持ってますから、お金
を、それが欲しいんです、むこうじゃ。そんな
もん、あの世に持っていくわけにいかないから
「これ。お前にやるよ、みんな」
「おい、いいのか? だれも受け取りにこねえ
か」と言うから、
「大丈夫だよ、みんなおまえにやるから。それ
より、早く寝かせてくれよ」
「じゃ、まぁ寝ろよ。見回りが来たら起こすか
らな」と言って、足の先にひもをつけてくれて
「何かあったら、これを引っ張るからな」。

それからまあ、グッスリ寝たんだ。そして、明
方けの4時ころになって起こされた。それまで
は何も知らない。夢も見ないで寝ちゃった、久
しぶりに。
それで、5時に牢の前に立たせられて、ロシア
の中尉の死刑宣告を受けてーー軍事裁判のよう
な死刑とは違うんだから、乱暴ですよ。それは
調べも何もしないんだもん。「ロシア皇帝の御
名のもとに、名誉ある銃殺の刑に処す」と厳格
な調子で言うんだ。何が名誉だ。まじめな顔し
て死刑宣告してから、今度はニッコリ笑ってね
「最後の喜びの食事を一緒にしましょう」と、
コーカサスの言葉で言ったよ。言いまわしが日
本の言葉と同じようだったから、よく覚えてる

 それから士官室に行って、番兵のいるわきで
囲まれながら、腹いっぱい食った。久しぶり。
ロシアの料理ってやつは分量が多いしね。そり
ゃもう、うんと食ってやった。どうせ死んじま
うんだからね。便所へ行く必要はないんだから

するとその士官がニコニコ気の毒そうに笑い
ながら、片言の英語を交えて、
「軍隊の命令とはいえ、まだ失礼ながら少年の
ように見える若いあなたの命をとるということ
は、何とも耐え忍びないことだけれども、仕方
がない、これも。とにかく、こういう境遇にな
ってるんだから」と言うから、
「同じことですよ。運命はね、ただ早いか遅い
かの問題だけで、死刑を執行するあなたもこの
戦争中に死ぬかもしれない。またこの戦争で死
ななくても、いちばん最後はやっぱり死ぬんだ
よ。あんただってね。ただ時が早いか遅いかの
違いだけなんだ」と言ったんだ。

 それで、日本に「散る桜、残る桜も散る桜」
という歌があるね。あれを英語で訳してね、
「きれいに咲いてる桜も、ただ散るのが先か
後だけで、後に残った桜もまた時がくりゃ散る
でしょう。それと同じだ。だから、同情をして
くださるという言葉はうれしいけれども、同じ
ことですよ」

そうしたらね
「悲しくないかい」
「悲しいというより、寂しいや、俺は」
「寂しいか。恋人にことづけでもあるのか」
「恋人なんかいないよ、俺は。日本人はこうい
う仕事をするとき、恋人なんかもたないんだ」
「ああ、そうか。じゃあ何が寂しい?」
「生みの母親にな、この勇ましい最期を見せら
れないのが寂しいんだ」
「おまえの国の母親は、子供が殺されるのを見
て、勇ましいと思うか」
「思う」ーーその時分の母親のことなんだよ。
今の母親じゃないんだよ。
そうしたら、あきれたような顔してね、
「日本人の気持ち、よくわかりません」と言っ
たよ。
そしてハンケチ出して、
「サインしてくれ」
日本語でサインしてやったら、それを見て
「わからない」
それで英語でサインしてやったら、今度は
「ロシア語で」と言うから、
「ロシア語は俺、知らないんだ。真似てサイン
するからロシア語を書いてくれ」と言ったら、
紙に書いてくれて、それでそのとおりまたサイ
ンしてやった。

 それから刑場にひかれた、支那の花馬車で。
 柱にくくりつけられ、もうすぐ一発の銃声
とともにこの世を去るんだという刹那まで、
私はちょうど、何か他人のことを見てるよう
な気持ちで過ごしえたんです。本当ですよ。
今、一人の男が棒杭にゆわえつけられて、そ
して二、三のやりとりのあった後に、やがて
ドーン。
それで死ぬんだ。何かわきに立ってて見てる
ような気持ちでね、自分自身を。

ですから、その直後救われて逃走するときも
極めて落ち着いた行動ができたよ。救いに来
たやつのほうがあわてていやがる。爆弾を投
じて、ドカーンと破裂すると同時に、ゆわか
れていた棒杭とともに、ほんとはそんなに飛
び上がったんじゃなかろうけれども、こらも
う、一間も吹き上げられたような気持ちにな
って、ダーッと落ちてきた。救いに来てくれ
たやつが半分背負うようにして駆け出して、
5,6歩行ったときに、
「おい、待て、俺が背負ってる棒を取れ」
救い出すほうも無中なんだから、そうしたら
後でこう言ったよ、救いに来た私の部下が、

「班長、ほんとにまあ、あんたって人はどこ
まで一体ぜんたい平静でいられるんですか。
 度胸の神様みたいだ。救いに行った私の方
があわてちゃった」

 それも、いま言ったとおり、はっきりした
気持ちをもってたからだね。いま現在、命が
けの仕事をしているんだというような切迫感
をひとつも感じなかった。むしろ普通のとき
と同じ気持ちで行動できたんだ。死と直面し
てる恐ろしさなどは少しも感じなかった。

 そして、滝のそばにジーッと座りながら、
軍事探偵をしていたときの気持ちと、病にな
ってからのだらしない気持ちと比べて、考え
ながら気づいた。

「ああ、やっぱりなあ。あのとき恐ろしさを
少しも感じなかったのは、私の心が死という
ことから離れて、むしろ確固たる覚悟の力で
無念無想の方面へ完全に心機が転換されてい
たからだ」と、つくづく感じたんだ。

 私の人生観は、こんな体験をもととしてで
きたものなんだ。

 だから、最初に言ったとおり、いいかい、
「人生の事情がどうあろうと、できうるかぎ
りの努力を行って、心機の転換を現実にして
喜びの時をより多く命に味わわせて生きる。
 断然それ以外に人生生活の方法はない」と
私は自分自身に断定したんです。

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ちょっと長くなりましたが、途中からは、
「中略」のしようがなく全文転載しました

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「ああ、やっぱりなあ。あのとき恐ろしさを
少しも感じなかったのは、私の心が死という
ことから離れて、むしろ確固たる覚悟の力で
無念無想の方面へ完全に心機が転換されてい
たからだ」と、つくづく感じたんだ。

 私の人生観は、こんな体験をもととしてで
きたものなんだ。

 だから、最初に言ったとおり、いいかい、
「人生の事情がどうあろうと、できうるかぎ
りの努力を行って、心機の転換を現実にして
喜びの時をより多く命に味わわせて生きる。
 断然それ以外に人生生活の方法はない」と
私は自分自身に断定したんです。

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上記が総てでしょうか。とても中村天風氏
の領域に達することは、私の場合はあり得ま
せんが、所謂「爪の垢でも煎じて」見習いた
いものです。

死刑場から無事に逃げられるものかどうか、
少なからぬ疑問もありますが・・・例の如く
そういう茶々は封印します。

◎◎さんは、今回の中村天風氏の話
を総て「真実」として信じることができるで
しょうか。あるいは、いくらか盛ってるとい
うか誇張があると思われるでしょうか。

ご意見をお聞かせいただければ嬉しいです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。


◎◎さんの幸運な日々を祈念します。

 

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