【アモリ通信418】 徳川家康

◎◎さん(^^♪

こんにちは。

SILアカデミー 1on1 オンライン顧問
ジョガーFの福島清隆です。【専門は物流です】

本日のテーマは「徳川家康」です。


  寿命40年時代に「75才」で大往生
   徳川家康
   長生きの秘密

  PRESIDENT 2023.2.17号   P15


今年の大河ドラマは御承知の通り「徳川家康」
ですね。昨年の「鎌倉殿の13人」の脚本家、
三谷幸喜氏の描く世界も見事でしたが、今回の
古沢良太氏も数々のヒット作を世に送り出してる
鬼才です。先日、大河ドラマを見て大笑いする
シーンがありました。、(側室関係・・・)
彼の描く徳川家康は、従来の家康像と異なる
もののようです。
それはそれとして、雑誌PRESIDENTから、家康に
ついて学ぶべき点をお伝えします。


◎ 徳川家康の人生10大決断
  苦労しただけ人生は面白くなる!

〇 生き方
  現状に甘んじるか、新たな一歩か
  ① 桶狭間の戦い 19歳の壁

桶狭間の戦いで今川義元が戦死したことを知ると
家康は今川家からの独立を決断する。三河の武
士たちの抵抗もあったが、今川氏真があまり優れ
た人物でないことや、自分の実力を踏まえて判断
した。

〇 人間関係力
  言うことを聞かない人をどうするか?
  ② 三河平定  25歳の壁

三河統一の中での最大の危機が三河一向一揆だ
家康は、織田信長のように一向宗門徒を皆殺しに
することもなかったし、一向宗側についた三河武
士たちを許し、再雇用した。再雇用せざるをえな
い勢力だった可能性もあるが、我慢する家康像が
見えてくる。

〇 反省力 
  大失敗したら、どうする?
  ③ 三方ヶ原の戦い  31歳の壁

武田信玄が国力をすべて投じて徳川領に侵攻した
西上作戦の中で、信玄の策略にはまり家康は惨敗
してしまう(三方ヶ原の戦い)。家康の短気な側
面が見えてくるが、家康は絶えず学ぶ人だった。
二度と同じ失敗をしないよう反省し、我慢強くな
っていった。

〇 忠誠心 
  耐え難い命令をされたら、どうする?
  ④ 嫡男・信康切腹  38歳の壁

家康の嫡男・信康が武田と通じていることを理由
に、信長は家康に信康を切腹させるよう命ずる。
信康の疑いが深まったのには、徳川筆頭の酒井忠
次が大きく関わっていたが、家康は家臣をコント
ロールするために、忠次を重いポジションで登用
し続けた。

〇 判断力 
  絶体絶命、立ち位置をどうする?
  ⑤ 本能寺の変・伊賀越え  41歳の壁

戦国時代には珍しく、家康は信長との同盟を守り
続けた。しかし、本能寺の変で信長が横死をとげ
る。絶体絶命の危機でも、家康は人脈を使い無事
三河に帰還する。その後は、動揺する織田政権に
は関与せず、一歩引いて地盤固めを優先した。 

〇 突破力 
  難題に立ち向かうとき、どうる?
  ⑥ 小牧・長久手の戦い  43歳の壁

戦下手と言われる家康だが、小牧・長久手の戦い
では采配で秀吉に一目おかせることに成功する。
政治的には敗北してしまうが、軍事的な勝利のお
かげで滅亡は避けられたし、次のチャンスを待つ
ことができた。命がけで武田と戦い、学び続けた
成果だ。

〇 失敗力
  失敗を繰り返したら、どうする?
  ⑦ 上田合戦  44歳の壁
 
たしかに家康は、真田家に煮え湯を飲まされるこ
とはあったが、真田家を滅ぼそうとすればいつで
も滅ぼすことができた。滅ぼさなかったのは、取
るに足らない存在だから。上田合戦で多少の痛手
を負うとも、家康は気にしなかった。

〇 復活力
  人生のドン底を味わったら、どうする?
  ⑧ 江戸へ国替え  49歳の壁

豊臣秀吉に臣従した家康は関東への移封を命じら
れる。当時の江戸はど田舎。石高が増えたといっ
ても左遷に違いなかった。しかし、家康は腐るこ
となく、利根川の治水工事など、土木工事に力を
入れ、江戸を発展させていき、発言力を強めてい
った。

〇 目標達成力  
  大一番のとき、どうする?
  ⑨ 関ヶ原の戦い  59歳の壁
 
家康は一か八かの勝負を好まない。天下分け目と
も言われる関ケ原の戦いも、事前の外交戦に力を
入れ、敵の西軍9万のうち戦場で実際に戦ったの
は約3万のみだった。戦いの舞台が整ったときには、
すでに勝利を確信していたのだ。

〇 人間の器
  あの人を許すか、許さないか
  ⑩ 大坂の陣  74歳の壁

家康は駿府に戻り、隠居していた。江戸幕府の実
務は家康が選んだ優秀な徳川家臣団が行えば問題
なく進行するよう、強固なシステムをつくってい
た。
豊臣氏に実質的な力がないことはわかっていて、
豊臣氏を滅ぼすかどうかは小さな問題として扱っ
ていた。


『豊臣氏に実質的な力がないことはわかっていて
豊臣氏を滅ぼすかどうかは小さな問題として扱っ
ていた。』

結局最後はここまできたのですね。
今年の大河ドラマでは家康像は、本来「弱虫」
として描かれています。実際、戦に強かった訳で
もなさそうです。

⑩ 「人間の器」の詳細説明の最後の部分を記載
します。

家康の価値観の中で「信用」は上位にあり、損を
することが分かっていても約束は頑なに守りまし
た。
下剋上や裏切りが横行する戦国時代には珍しい
タイプですが、不安定な時代だからこそそうした
生き方が周囲に安心感を与えて、「あの男が天下
人なら平和に暮らせるかも」と支持を広げました
 本当にすごいのは、それを意識的に実践してい
たことです。家康は自分が天才でないことを知っ
ていました。ならばどうすれば世の中に受け入れ
られるのか。そう考えて導き出した答えが「律義
者」でした。冷静に自己分析して自分をコントロ
ールしたことが家康をして天下に導いたのです。

◎◎さんは、上記の結論をどう思われますか。
端的にまとめると、
・自分は天才でないことを分かっていた
・ならば「律義者」であることで世の中に受け入
 れられる
・それによって天下人となった。

ちょっとカッコよくまとめ過ぎじゃないかなぁ~
(私見です‥💦💦💦
 と、思いましたが、信長や秀吉や他の有力な武
将と比較して、「律義者」、「あの男が天下
人なら平和に暮らせるかも」という分析は正に
その通りなのだろうなと、大河ドラマを見ながら
思い直しました(^^♪

ご意見をお聞かせいただければ嬉しいです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

◎◎さんの幸運な日々を祈念します。

 
 
 

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