【jyogar教授のアモリ通信371】  小野田少尉  20220629

◎◎さん(^^♪

こんにちは。

SILアカデミー 1on1 オンライン顧問
jyogar教授の福島清隆です。【専門は物流です】

本日のテーマは「小野田少尉」です。


「陸軍中野学校」の教え

陸上自衛隊元陸将  福山 隆

日本のインテリジェンスの復活と未来

ダイレクト出版  1980円+税


表題の著書から学び纏めたいところですが、内
容が平和ボケ日本にとっては別世界過ぎるようで
気が重くなりました。

本書のごくごく一部ですが、あの「小野田少尉
」についての記載がありましたので、今回はそこ
をご紹介させていただきます。

小野田少尉が日本に帰還したのが1974年。当時
の私が20歳くらいの頃です。
 実のところ「ぶったまげた報道」でした。
 今の20歳前後の若者は、「下記に記した現実」
をどのように感じることでしょう。
 聞いてみたいものです。


小野田寛郎(ひろお)少尉の人間ドラマを描く
人間ドラマを描く「ONODA 一万夜を越えて」が第
七回カンヌ国際映画祭で評判を呼び、主人公の小
野田少尉に関心が集まっている。

1974年3月12日、小野田寛郎少尉は、フィリピ
ンのルパング島から日本に帰還した。終戦から実
に29年も経過していた。その間、ルパング島の山
間部に身を隠し、島内にあった米軍のレーダー施
設などを襲撃するなどの遊撃戦を止むことなく継
続していたという。

小野田少尉は、陸軍中野学校二俣分校の出身だ
 当時の師団長である横山静雄中将(陸士37期)
から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも5年でも
頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が一人で
も残っている間は、ヤシの実をかじってでもその
兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言う
が、玉砕は絶対に許さん。わかったな」という訓
示を受け、その命令の通りに任務を遂行したので
ある。

終戦を迎えても任務解除の命令がなかったため
仲間と共に作戦を継続し、密林に隠れて活動を続
けた。1950年に仲間の一人が投降したことで、小
野田ら残留日本人の存在が明らかになった。野生
のヤシの実をかじり、海岸の岩場に凝結した塩を
なめ、島民の農耕用の牛を奪って食べていた。

日本から捜索隊がルパング島に出向き、小野田
たちに終戦を告げ、投降を呼びかけたが、小野田
はこれを偽情工作だと思ったという。最後の同志
だった小塚金七が1972年にフィリピン警察に射殺
されたことで、小野田は一人だけの孤独な戦いを
強いられた。

1974年2月、冒険家の鈴木紀夫がルパング島を
訪れて小野田と接触。小野田は、直属の上官に
よる命令解除があれば投稿することを了承した。
 3月9日に元上官だった谷口義実元陸軍少佐が
第14方面軍司令官だった山下奉文大将名の命令
解除及び帰国命令を伝えた。

3月10日にフィリピンのマルコス大統領(当時
)も出席して投稿式を行い、3月12日に日本航空
の特別機で羽田空港に降り立った。

当時の日本人は、29年間も残置諜者として潜
伏していた小野田少尉がいたことに驚愕したが
、それは中野学校の教育の凄さを改めて印象付
けた出来事でもあった。評価は分かれるだろう
が、たかだか半年や一年の教育(小野田少尉の
場合はわずか3ヵ月)でこれほどまでに人を激
変させることができた陸軍中野学校に興味が集
まるのは当然だろう。

小野田は、『ルパング島戦後30年の戦いと
靖国神社への思い』という本を残した。戦前の
国家・社会・思潮などがアメリカの占領統治に
より激変し、スポイルされていた。お国のため
に戦って死んだ英霊がないがしろにされるどこ
ろか、侮辱されていることに小野田は憤った。

小野田はそのような祖国に失望し、ブラジル
に渡って牧場経営に挑戦し、成功した。その後
、浪人生が親を金属バットで撲殺するような荒
んだ祖国を憂い、一石を投ずべく小野田自然塾
を立ち上げ、青少年教育にも取り組んだ。

小野田の生き様は、陸軍中野学校教育の成果
の一端を示すものとして注目されよう。


むすびにかえてーーー
    我が国の情報体制強化のための処方箋

陸軍中野学校の「道標」としての物足りなさ

「陸軍中野学校を「日本のインテリジェンス
の復活と未来」に向けての「道標」とするには
、やや物足りなさを感じる。

その理由としては、陸軍中野学校の創設が遅
すぎたために、卒業生は待ったなしで「戦場」
に投入され、「作戦情報」の収集や戦地での工
作が主体となり、「戦略情報」の獲得や国際的
な謀略・工作を行う機会がなかったからである
 中野卒業生が後者の任務を立派にできるかど
うかは判断できない。

設立当初は、「埋め草」のように、外(敵)
国に骨を埋める覚悟で、終生同一地で諜報活動
を行う諜報員を養成するという構想を持ってい
たが、大東亜戦争の開戦により断念せざるを得
なくなった。

とは言え、私が感じる「物足りなさ」はほん
のわずかであり、全体としては「日本のインテ
リジェンスの復活と未来」にとって十分に「道
標」となりうるものと確信する。

以下、陸軍中野学校から学んだことを念頭に
、我が国の情報体制強化のための諸方策につい
て私見を述べたい。

● 中央情報機関(JCIA)の創設について

● 情報についての国民的教育

● 防衛駐在官制度の改善策

●「クラウド・インテリジェンス局」の創設

● 日本の真の独立(Idependence)は情報
  (iInteligence)の独立から


本書は、タイトル通り「陸軍中野学校の教え」
であり、小野田少尉はその中のごく一部の登場
人物に過ぎません。しかしながら、陸軍中野学校
を短く論じるのはあまりに無理があるので、小野
田少尉の部分をご紹介させていただきました。

ちなみに、日本の国防を学ぶとしたら、軍事専
門家もマスコミにいろいろな方が登場しますが、
「福山 隆」という人物を知るに至り、この人が
ピカ一かもしれないなと感じました。

例の如く、こういう人はなかなか、マスコミ
からは声がかからないように思われます。

ロシアのウクライナ侵攻によって、例の
北野幸伯氏が少々TVにも登場されたようです。
しかしながら、彼曰く「TVの影響力の絶大さに
驚くと同時に、時間が限られているので、伝え
たいことを十分に伝えきれないもどかしさ」を
感じたとのことです。

なんでもじっくり考えるのは、じっくり読む
見るしなければ、判断を誤るということだと思
います。

それはそれとして、本論に戻ります。

◎◎さんは、もし30代以下であれば、
「小野田少尉」という人物を御存知だったで
しょうか。

30代以上の方であっても、異国のジャングルの
中で29年間も、忠実に「命令」に従って活動し
続けることが自分にできると思われるでしょう
か。

ちなみに、私なら・・・まず無理だと思います
           (💦💦💦×∞)

ご意見をお聞かせいただければ嬉しいです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

◎◎さんの幸運な日々を祈念します。

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